院長 三原一澄 の自己紹介

プロフィール

院長 三原一澄
血液型 B型
星座 牡牛座
趣味 ドライブ・旅行

略歴

H9
四天王寺学園高等学校卒業
H14
大阪歯科大学卒業
H14
大阪歯科大学付属病院総合診療第一科入局
H19
臨床研修歯科医師指導医資格取得
H20
医療安全管理者資格取得
H20
大阪歯科大学付属病院口腔外科第一科入局
H21
みはら歯科開院

所属学会等

大阪歯科大学口腔外科第一講座
日本口腔外科学会
日本歯周病学会
LSTR療法学会
国際先進学際歯科学会アジア部会iaaid-Asia
床矯正研究会
 
PIOペリオレベリングコース
PIOインプラントコース
PEC歯科医師ペリオセミナー山本浩正先生セミナー
CEセミナー(ベーシックコース、アドバンスコース、マイクロスコープコース、レジン修復コース)
アストラテックインプラントベーシックコース
カムログインプラントコース
矯正臨床研究会セミナー

患者さまへご挨拶

こんにちは。はじめまして、三原一澄(みはら かすみ)と申します。
本日はホームページをご覧いただきありがとうございます。

2009年7月1日。生まれ育った、大好きな場所、大阪府藤井寺市でみはら歯科を開院させていただきました。
私の夢は、たくさんの方の感謝、感動、優しさが広がって、温かい心が世界中につながり、未来に眼がキラキラと輝く笑顔が増えることです。生まれてきた情熱を感じて、心にイキイキとHappyな笑顔を咲かせている人がたくさんあふれていることです。

また自分の夢が、他人の夢、社会の夢、世界の夢とつながっていけば最幸です。
そんな夢をかなえるため、歯科医師という仕事を通して、人々との出会い、つながりを大切に、生きていることを感じ、成長し、感謝や感動のエネルギーが生まれ、広がるような、笑顔あふれる想いのある医院を創っていきたいという情熱が高まり、想いある藤井寺市で一歩を踏み出しました。
医療人としてどうあるべきか、じっくりと本質を見つめ自分自身を鍛え、学び、お口の健康維持を誠心誠意、最大限、お手伝いさせていただければ嬉しく思っています。
そして、皆さまの笑顔を最高の喜びとし、お役に立つために出来ることは何かを常に考え、実践し、進んでまいりたいと思います。
さらには、皆さまとの出会いの意味、一緒に未来に何を創造できるかを問いながら、豊かな未来に向けともに歩んでいければ幸せです。

歯を削ったり抜いたり治療をするだけの歯科医院ではなく、審美、機能を回復したり、かみ合わせを良くしたり、歯を守るための予防を行うだけの歯科医院でもなく、感動が体験できたり、感謝にあふれたり、人生が変わったり、夢を本気で語ったり、気持が上向きになれたり、今まで気づいていなかった自分に出会えたり、皆様を愛し、皆様に愛していただける、心がワクワクする笑顔咲く歯科医院を目指したいと思います。

子ども時代

私は、1977年、大阪府藤井寺市で三原家の長女として生まれました。
母のお腹の中にいる時、双子かといわれるくらい大きかったようで、難産の末誕生。しかし、両親は私が誕生してなかなか、顔を見せてもらえなかったようです。というのも、右の頬全体に良性の腫瘍、母斑(大きな黒いあざのようなもの)があったからです。生まれたときに正面を向いている写真がないことからも感じ取れますが、その時の両親のショックはとても大きかったようです。
「一」はすべてのはじまり、基、「澄」は清くすむという意味で、顔のアザが治り、清く美しく澄んだ心になるようにと願いを込めて「一澄(かすみ)」と名付けてもらいました。
3歳から20歳過ぎまで、背中の皮膚を顔へ移植し血管をつなぐといったような手術を東京の病院で何度も受けました。注射や点滴も沢山経験し、強い子であろうとしていたのか、鈍感だったのか、両親によれば、他の子が泣いていても私は泣いたことは無かったようです。それでも、子ども心に、手術室に入る前の怖さや孤独、痛みの辛さ、しんどい気持ちに必死で耐えて乗り越えていたのをはっきり覚えています。
生まれながらに、手術は、自分自身で乗り越える、自分の通る道と理解して付き合っていたのか、また、両親の大きな愛情に包まれていたおかげもあり、傷に関して、今まで一度も自分では気にしたことはありません。

赤ちゃんの時から、手術のための体力をつけなくてはならないということで、栄養があるものを両親が意識して食べさせていたようです。私は今、身長176㎝ありますが、縦にも横にも大きい源は、ここにあるに違いないと思っています。両親がよく「赤ちゃんのときから丈夫で、子供の時は風邪ひとつひいたことがないくらい強かった」というのを耳にしますがこれもこの効果でしょうか。

運動会では探さなくても一目で分かるらしい大きな私。小学1年生の時、すでに150㎝を超える大きさがありました。自分が大きいことにはあまり気がついていませんでしたが、小学校を卒業するころは170cmありました。通っていた藤井寺南小学校の前を通ると、放課後は自電車に乗り込み、公園、古墳に出かけ遊んでいたのを懐かしく思い出します。

子供時代を思い出してみると、間違ったことをした時は厳しく叱られました。しかし、父や母から勉強しなさい。危ないから○○はダメ、などと言われた記憶はありません。自分で考え失敗すればそこから学ぶことを教わりました。
自分には出来ないのではと自信をなくしている時は、やってやれないことはない。大丈夫と子供を信じ応援してくれる両親。また、誰かと比べて不安になっている時は、人は人、自分は自分、あるがままでいいと焦点を変えてくれる両親。そんな両親におおらかにのびのびと育ててもらったように思います。特に母は、どんなことでも前向きにとらえる、マイナスもプラスに変えてしまう、心配も笑いで吹き飛ばしてしまうような人で、母が笑うと、真剣に悩んでいたことも、大丈夫な気持ちになってしまっていました。出来事が感情、結果を生むのではなく、受け取り方、とらえ方が感情、結果を生むんだという考えの両親に育ててもらえたことに本当に感謝しています。

中学、高校時代

中学、高校は大阪市内の女子高、聖徳太子の和の精神を礎とする四天王寺学園に電車で6年間通いました。
一つ、和を以て貴しとなす
一つ、四恩に報いよ。四恩とは 国の恩  父母の恩  世間の恩  仏の恩なり
一つ、誠実を旨とせよ
一つ、礼儀を正しくせよ
一つ、健康を重んぜよ
という学園訓を、鐘の音が聞こえ、お高が香る静寂な四天王寺の境内の中にある教室で、今でも暗唱できるくらい、毎朝、唱えていました。当時の光景を思い出すと、胸が落ち着き、ほっとするような安らぎを感じます。同時に、学園訓の中に込められている大切な心が、すがすがしくて、目の前のありがたさに気が付き、感謝の気持ちが満ちてきます。

友達と大喧嘩した日もあります。悩んで泣いた日もあります。泣きながら授業を受けたこともあります。仲直りをした日もあります。時間を忘れて語った日もあります。授業中おしゃべりをしすぎて叱られた日もあります。勉強せず、テストでひどい点数をとったこともありました。遅れを取り戻すため必死で勉強を頑張った日もあります。とにかく学校が大好き。熱が出ようが学校に行きました。文化祭や体育祭、遠足、修学旅行、仲間と皆で何かに取り組むことで生まれる躍動感や充実感が大好きで、笑顔あふれる毎日をそれはもう全力で楽しんで過ごしました。四天王寺で出会った友達は今でもつながっています。看護師や医師、技術者、子育てを頑張っていたり、いろんな分野で夢、目標を持って挑戦し輝く彼女たちからはいつもエネルギーや感動をもらっています。心から尊敬できる大切な存在です。

私の両親は生涯仕事を続けています。70歳を超えますが今も現役。父は昔、警察官をしていました。警察の仕事が休みの日は、母がマイナスからの出発で立ち上げた会社を手伝っていました。私が赤ちゃんの時から一緒に職場に行っていたようで、もの心ついた時には仕事の手伝いをしたりしていました。365日ほとんど休みなく働く両親は楽しそうで、疲れた、しんどいなどと愚痴を言っている姿は見たことがありませんでした。いつもにこにこしていて、エネルギッシュな父と母。仕事が大好きで、夢、生きがいだと感じていることがわかりました。そんな姿を見ていたからか、私も一生仕事を続けながら生き生き輝いていたいと自然に思っていました。

理系のコースに進んでいた高校3年生の私。皆で何か感動を生み出すことに憧れて、人と出会い関われる仕事で何か資格をとりたいと考えていました。自分自身が大好きなこと、輝けること、それが何なのか、決断出来なくて迷っていました。教師?栄養士?薬剤師?看護師?医師?やりたいことはなんだろう?
そんな私が歯科医師になることになったきっかけ。特別なドラマがあったわけではありません。それは当時の家庭教師の先生の「歯医者さんは?」という一言でした。その先生は薬学部を卒業してから働き、結婚し子供さんもいる中、意を決し医学部に入りなおした先生で、人間的にとても信頼を置いていた先生でした。
歯科医師という選択肢がなかった私は、その時歯学部という学部が存在することを初めて知りました。
正直、歯科は未知な世界でどんな歯医者さんになりたいか具体的なイメージはない状態でしたが、人と関われつながれる医療に携わるのは良いなあと興味を持ち、大阪歯科大学に入学することになりました。

大学時代

新しい環境、ドキドキの入学式の日、クラブ勧誘の説明会で、『一緒にシルクロード(タクラマカン砂漠)をマウンテンバイクで走りましょう』という、言葉に、頭の中、心の中で広大な景色、ゴールした時のイメージが鮮明に浮かび、一瞬で恋に落ちました。一体感ある感動に憧れていた私。『今まで味わったことのない感動を味わいたい!!』という動機でワンダーフォーゲル部に入部しました。これが甘かったのです。後に待ち受けていた試練をこのときは想像さえもしていませんでした。
私が入部した時すでに遠征の日程は決まっていて、参加できるギリギリの学年でした。一年半後の二回生の夏休み。目標達成のための強化合宿は現地の道路事情の悪さ、砂漠の強烈な暑さ、という少しでも現地に近い状況になれておくことが必要とのことで、林道や、真夏に行われました。
入部後初の練習は日帰りでしたがアップダウンの激しい山道をマウンテンバイクで走る。今まで体育ぐらいで、運動という運動をしたことがなかった私。足が動かなくなるほどしんどくて、大きく派手にこけてしまいました。自転車のチェーンは外れる。その間チームの時間が止まり、周りの仲間や先輩に迷惑がかかります。足を引っ張っていることへの焦燥感と申し訳なさ。今も、右腕にはその時の傷が残っています。お昼の休憩では疲れすぎて食事ものどを通らない状態で声も出ない。自転車をこぎながら「訳が分からなくしんどい。なぜわざわざこんなしんどい思いをしているのか。こんな自分がシルクロードにいけるのか。迷惑ではないか。やめたほうがいいのか。」とくじけました。その日の練習が終わる頃には、自分の感情を何も確認できないくらいに体力の限界を通り越していました。
最初のころは泣きながら自転車をこいだ日がたくさんあります。同期4人が入部したのですが、2人は途中で辞めてしまいました。
不安や迷い、自分自身の葛藤との戦い。しんどさに負けそうな時は子供のころの手術を乗り切った自分自身を思い出し、歯をくいしばりました。辞めるという選択肢が自分のなかでどうしても認められず許せませんでした。
平日は放課後ミーティングを重ね、ランニングや筋トレをしての体力作り。土日や連休、長い休みは自転車をひたすらこぐ。一日の走行距離は130キロ前後。日本海沿いや、琵琶湖など色々な場所をテントで寝泊まりしながら、練習を繰り返しました。
目標のシルクロードに向け、男女9名のチーム、先輩、仲間に支えられ、励まされながら練習しました。男女の体力差が問題になったこともあります。遠征自体を中止するという話が出たこともあります。山あり谷あり、挫折あり、苦悩あり。
しかし、辛さを乗り越えてからこそ結果がではじめる。あきらめなくてよかった。頑張って続けて良かった。体力がない私を見捨てずに応援し続けてくれた先輩への恩返しのためにもシルクロードへ絶対に行くんだと決めて良かった。シルクロード遠征の2回生の夏前には体力が付いていました。一番過酷なはずのシルクロード遠征は、それまでのどの練習、合宿よりも一番しんどさを感じず、ばてることなく一番元気で笑顔で過ごすことが出来ました。異国の地での文化や言葉が違う人々との出会い、歴史との出会い、灼熱の暑さ、360度広がる地平線、広大な砂漠、熱い砂、砂嵐もありました。電気一つない砂漠での見たこともない満点の星空、開放感、達成感、充実感。そう、この感動を味わいたかったんだとゴールした時には心の底から幸福感がわきあがってきました。一人の力では到底乗り切れなかった苦しさを振り返り、支えてくれた先輩、メンバーに感謝の涙が溢れました。本気で頑張った分、本気で喜びを分かち合うことが出来ました。
夢や目標は叶うこと。また、あきらめずやりきる原動力になること。仲間のありがたさをクラブ活動から学ばせて頂くことができ、貴重な経験をさせていただきました。

一方、入学すると周りの同級生達はご両親、親戚が歯医者さんという人がほとんどでした。歯科医院の設備が必要な課題や宿題が出る時などは自分だけが取り残されてしまう気持ちになってしまうこともあり、心のどこかで焦っていました。そんな不安を消すため、歯科医院で歯科助手のアルバイトをしたり、積極的に大学の先生方に質問に行ったり、分からないことは分かるまで徹底的に調べたり、あらゆることに興味を持つようにして、必死で歯科医師になるために勉強しました。
今思えば恥ずかしいですが、このころ、どのような仕事観で歯科医師を目指したいかというよりも、取り残されるものかという胸の中の不安を消すために頑張っていたように思います。
かといって、大学生活が楽しくなかったのかというと決してそんなわけではなく、クラブ活動でも感動、学びを得ることが出来ましたし、机状の勉強ではなく、病院実習が始まると患者さんや先生方と関わり、臨床を学んでいくこともとても楽しかったです。
友人も沢山出来き、充実した日々をすごしました。
しかし、まだ歯科医師という仕事を通して、どのような夢、目標、志を持つのかという、心の奥底から湧き出るワクワクしてたまらない弾むような情熱を自分の中に見つけることは出来ていませんでした。

大学卒業後

人生は出会いで変わるといいますが、大学卒業後、大阪歯科大学の総合診療科第一科に入局し、病院教授の星野茂先生に出会い私は変わりました。
今思えば、みはら歯科の顧問、星野茂先生との運命の出会いです。

歯科医師として初めて患者さんを担当させていただくことになった時。
星野先生から一番最初に言われたこと。それは「まずは患者さんと話をしなさい。向かい合いなさい」ということでした。

患者さんが、歯が痛いと来られたからといって、いきなり慌ててその痛い歯を削ってはいけない。
どういう事か。
なぜ、今日というタイミングで来られたのか。本当はなぜ来たのか。何を求めているか。緊張や遠慮などから表現出来ていない、どう伝えていいか分からない、あるいは患者さんも気づいていないかもしれない、心に隠れた部分の不安、悩み、心配は何なのか。家族が居れば、家族はどう言っているか。家族との関係はどうか。などのその方の背景を理解することが大切。まずは、よく話を聞き、受け入れる、相手を理解しようとすること、患者さんとのコミュニケーションの重要性とつながりを大切にする心を教わりました。そしてそれから初めて診査診断に入る。
これは、みはら歯科でも受け継ぎ大切にしている教えです。皆さんの一人一人の思いは技術と同じくらい大切なことだと感じています。

星野先生のところに来る患者様は、皆さん笑顔。いつも診療室には安心と満足の笑顔や、楽しい話し声が絶えませんでした。診療室を出る時の患者さんは嬉しそうなホットした表情になって帰って行かれます。
これまで出会った先生とは何かが違っていました。何をするにも本気なのです。損得勘定が一切なく、一瞬一瞬が本気なのです。

ある時、二十数年近く星野先生のもとへ通う、50代の女性の患者さんに話しかけられました。
「私が、星野先生のところに来る理由わかる?」
その答えは、「星野先生が夜間開業されていた何十年か前、子供がまだ小さく、歯医者に行く時間の余裕がなかった頃。ある日、夕飯の片づけが終わったころ、歯が痛くなって、いくつかの医院に電話をしたけど、どこも断られた。そんな中、星野先生だけは今から来いと、時間なんて関係なく医院を開けて待っていてくれて、必死で治療をしてくれて、治してくれた。その時にものすごく感動した。20年近く経つけど、今も、その歯は何ともなく残っているし、その時の感動が忘れられないから、引っ越しして遠くなっても自分は先生のところに来る」ということでした。
時には海外からわざわざ星野先生でないとだめだといって、治療を受けるためだけに帰ってこられる方もいました。
予後の良い治療技術、誰にでも平等な大きな心と、本物な本気の情熱と、人を感動させる魅力に溢れている先生を、患者さんが安心して心から信頼している事が解りました。そんな姿に私は心から感動しました。

また、星野先生はいつも、男も女も関係ない。働く事により倫理感を探究し、社会に貢献しカタチを創る。夢、目標、志を持つ事が大切だと熱く本気で語ってくれていました。
学生時代、他人や環境のせいにして、取り残されると不安になっていた私。自分自身で立つという明確な強い志を持つ大切さ。自分自身を改革することでしか不安は無くならない、結果は出ないということに初めて気がつきました。
私も120%の情熱で生きたいと、心の底から感じ、歯科医師という仕事に、夢と希望を持つことができました。星野先生のおかげです。
目標は、社会にカタチを創る。技術と情熱と心のある歯科医師になりたい。 あたたかい空気に包まれた感動と感謝の溢れる空間を創れるようになりたい、と、ドキドキと胸がわきたちました。なぜ、自分は歯科医師という仕事をするのか、どうなりたいのかを自分で感じることができ、晴れ晴れとした気持ちになったと同時に、未来にワクワクし期待に胸を躍らせました。
総合診療科では、歯科診療を安全に行うため、全身疾患をもつ患者さんに対してのリスクを把握したり、画像診断や、模型など医療情報を収集して、総合的診療計画を立案し、行った治療の経過、結果を観察し、科学的な思考をもって評価していくことや、円滑に歯科診療を行うため必要な治療技術や医療安全、感染予防に関する知識、態度、技能を身につけさせていただきました。
また、衛生士学校の指導医、新卒の衛生士とチームを組んで患者様の総合的な治療にあたりました。その中で早期発見早期治療だけではなく、予防の大切さを学びました。疾患がある患者様だけではなく、虫歯や歯周病がないけれど、意識の高い健康な方もメインテナンスにたくさん見えられていました。その方たちからは、メインテナンスに通うようになってから、調子が良くなった。痛くなることが減った、という嬉しい言葉をたくさん聞かせていただきました。中にはご家族の看病をされていて、忙しそうな方が居ました。時間を確保していただき通っていただくのは大変なのではないかと心配しましたが、一カ月に一度ここにきてケアを受けることは唯一、自分を大切に出来る時間だからと喜んでいただけたことがあり、その時の嬉しさは忘れられません。
みはら歯科で、皆さんのお話を聞かせていただくカウンセリングを実施していること、初診時には血圧を測らせていただくこと、お口の状況をご説明させていただくこと、患者さんとご家族に必要な情報を提供させていただき、治療の説明を出来るだけわかりやすくさせていただくこと、予防を大切に考えていること、感染予防対策の徹底、CT、レーザー導入などのルーツはここでの経験にあります。

【Art and sience】 総合診療科の医局入口に記されていた尊敬する星野先生のポリシーがこもった言葉。
アート/artとは辞書を引いてみると、芸術、美術、技能、技法、技術、手腕、人間の行いに由来する、人類の創作物、といったクリエイティブな概念があります。サイエンス/sienceは、科学。自然科学。自然科学は、自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称である。物理、生物、化学などの理学と呼ばれる分野と、医学、農学、工学などの応用化学と呼ばれる分野とを含んでいるようです。
感性をもって行動しなかったら、文化に人間は行きつかない。この言葉に込められている意味はきっと奥深く、これから一生をかけて探究していきたいと思っています。



開業のための修行として、歯周外科やインプラント、親知らずの抜歯などに必要な知識と技術を習得しようと思い、口腔外科に入局しました。口腔外科では歯科治療上問題となる疾患に対して安全に治療が出来るように必要な知識や技能、専門医への適切なコンサルテーション、服用中の薬剤の歯科治療に関連する副作用、バイタルサインの確認などの全身管理を学びました。他に外傷や粘膜や舌の疾患、顎関節症なども学びました。
口腔外科とは口腔、顎(あご)、顔面ならびにその隣接組織に現れる先天性および後天性疾患をあつかう科で、この領域には歯が原因のものから、癌までさまざまな病気があります。
口腔外科では外来だけではなく、全身麻酔で手術を受けられ、入院される方もおられます。歯科といえば虫歯、歯周病、入れ歯、歯並び、といったイメージがありますが、命にかかわる疾患もあります。外科での経験は私にとって、毎日が想像を超えた学びの連続でした。死生観を考えさせられ、歯科という世界が大きく広がりました。
指導医の先生や先輩とチームを組んで手術室に入る機会が多くありました。手術は常に、真剣かつ厳粛、緊迫、緊張の張り詰めた空気の中行われます。
口腔外科入局後、初めて手術室に入った時、手術室の景色に自分が子供の時に受けた手術の記憶がよみがえってきて不安な感覚が呼び起こされてしまいました。だんだんと耳が聞こえなくなってきたと感じていたら、目の前が真っ暗になり、貧血になってしまいました。
そのあともしばらくは手術の予定が入るたびに胸が不安になりました。が、不思議なことにある指導医の先生とチームを組んで臨むときは、全く貧血にならないことに気がつきました。
その先生の技術はもちろんですが、患者さんに対しての想い、行き届いた優しさがあふれていて、徹底した仕事をされる姿に、常々胸をうたれていました。その先生への絶対的な信頼があったので、厳粛、緊迫、緊張感のなかにも、私のトラウマをも消し去ってしまう何ともいえない安堵の色がうまれていたのだと思います。
本物な仕事、信頼は心の不安をも解かして消してしまう。私も誰かにとってそのような存在であれる様、技術、人間力を磨き続けてきたいと思いました。

ある術後の患者さん。点滴も外れ血液検査の結果も安定し、だんだん容体、状態は良くなって退院が近づいていました。にも関わらず、「あかん」といったマイナスの発言ばかりで、笑顔が見られず、浮かない顔、気持ちが下向き。なぜ?と思ったと同時に、気がついたことがありました。
自分の手術の経験から、心がけていたこと。朝早く出勤したり、時間を見つけては患者さんの顔を見に、話をしに行っていました。ですが、患者さんの容態が良くなっていたので、私の中で一方的に安心し、その患者さんと関わる時間が減っていたのです。患者さんの抱える不安を見過ごしてしまっているのではないか。ものすごく反省して、コミュニケーションの時間を長くとるようにすると、少しずつ気持ちが上向きになっているのがわかりました。
患者さんと24時間365日直接関わることは出来ない。歯科医師としての範疇を超えていることもある。けれども、自分の価値観や判断ではなく、常に患者さんの不安を探り、言葉に出来ない感情を理解しようとする姿勢、目の届く範囲、最大限関わる大切さを改めて痛感しました。

開業にむけて

自分の目指す方向性、夢に出会えた時、胸が明るい感情でいっぱいになり、ワクワクする嬉しさがわきおこり、心底ドキドキしました。心が躍り興奮して眠れなかった事をいまでもはっきりと覚えています。

患者さんの立場からは、一体、歯科のどんなところに不安や不満や、怒りを感じ、何を望んでいるのだろうと、考えました。自分の身の回りの友達や家族にお願いし、立派なものではなく、男女合わせて50枚ほどですがアンケートをとらせていただきました。結果は、【痛い、怖い、行きたくない、必要を感じない】という声が大半。他には例えば、【歯を白くしたい】という36歳の女性の声や
【予防に興味があるけど、ホームページを見て予防をしている歯科医院があっても何と言って行けばいいのか分からないから行っていない。こういう人に来てほしいとアピールしてもらえれば行きやすい】という20代の女性の学生さんなどの声を知ることができました。
アンケートをとらせていただいてから、行きたくない、必要を感じないイメージを持たれている皆様に、行きたくなるな、必要を感じていただけるような医院であるために必要なことはなんだろう。
興味はあるけれど行動を起こすにいたらない方たちにも来てもらえ、皆様の歯を守り、お口の健康を保ち、健康な方にもワクワクしながらケア、予防に行きたくなるような医院はどんな医院だろう。
そして、自分自身が受けたい治療、通いたくなる医院は?家族や大切な人にも自信を持って通ってもらえる医院にするためには何が必要だろう。などということを考えるようになり、うまれてきた情熱に出会えるような、患者様や多くの方々の心からの感謝と感動であふれる、笑顔咲く医院になるために具体的な取り組みが出来る医院創りを目標にしました。

「開業」という目標へのスイッチがONされてから、私は、さまざまな勉強会、セミナーに休みを利用して参加しました。ときには福岡、東京へ日帰りで勉強会に行くこともありました。技術だけでなく、人間的にも成長したいと思い、心理学などの勉強会にも参加しました。多くの本も読みました。いろいろな医院に見学にも足を運ばせていただきました。患者さんの気持ちを知るため、電車で歯科医院へ予防にも通いました。
素晴らしい先生方や、魅力的な方との出会い。人生を豊かにするたくさんの幸運な出会いに引き寄せていただけたおかげで、夢をイメージし広げる事が出来ました。
本当に本当に多くの方の温かい応援があり、2009年、7月、私の生まれ育った、大好きな大阪府藤井寺市にみはら歯科を開院させていただき、一歩を踏み出させていただけたことに心から感謝しております。
扉を開けて、一歩を踏み出したばかりのみはら歯科ですが、謙虚な気持ちと感謝を忘れず、自分に厳しく、熱い志を胸に、笑顔全開で、皆様との出愛(であい)、瞬間を大切に、私自身、そして皆様が、新しい自分に出会え、笑顔咲く、Happyな未来を描けるよう、成長し、限界をもうけず一歩一歩、挑戦を続けてまいりたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。

最後に、本日は、ホームページをご覧いただき、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

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三原一澄

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